keieishi17’s diary

40年余の経営コンサルタント経験から語る

■【きょうの人】 0626 ■ 最澄(伝教大師) ■ 木戸 孝允 ■ 山川健次郎 ■ 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

  • ■【きょうの人】 0626 ■ 最澄(伝教大師) ■ 木戸 孝允 ■ 山川健次郎 ■ 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

     独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

     そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

     

     山川健次郎 没

     やまかわ けんじろう
     1854年9月9日(嘉永7年閏7月17日)- 1931年(昭和6年)6月26日

     明治時代から昭和初期にかけての日本の物理学者であり、教育者でもあります。男爵の爵位を持っていました。

     会津藩出身で、白虎隊の兵士として明治政府と戦った勇者でもあります。国費で米国留学をして、東京帝国大学東京大学の前身)に登用されました。東京帝国大学総長や九州帝国大学九州大学の前身)の初代総長など、多数の大学等で共育に携わってきました。

     会津藩出身で、白虎隊の兵士として明治政府と戦った勇者でもあります。国費で米国留学をして、東京帝国大学東京大学の前身)に登用されました。東京帝国大学総長や九州帝国大学九州大学の前身)の初代総長など、多数の大学等で共育に携わってきました。

     少年期に、白虎隊に入隊していたの時の経験を元に著した、戊辰戦争会津藩側の立場から見た『会津戊辰戦史』はM死後の昭和7年(1932年)に出版されました。この本は旧幕府軍側を「東軍」新政府軍側を「西軍」と書いた初めての本です。

     会津藩に対する忠誠心は、壮年期以降は「愛国心」に転じ、日露戦争の時にはすでに東大総長であったにも関わらず陸軍に「一兵卒として従軍させろ」と押し掛けたという逸話もあります。

    「はじめてカレーライスを食べた日本人」と諸本で紹介されていますが、定かではありません。しかし、明治4年(1871年)に、国費留学生としてアメリカに向かう船中で、カレーライスを食べたという記述が回想録に書き残されています。しかし、カレーライスを選んだのは、それが唯一米を使った料理でしたからで、カレーはすべて残したといわれています。

     

    ■ 木戸 孝允 生誕

     きど たかよし/きどこういん
     天保4年6月26日(1833年8月11日)- 明治10年(1877年)5月26日)

     長州藩の武士、明治政府の政治家等で、桂小五郎(かつら こごろう)ともいいます。明治維新の指導者として活動し、維新の三傑の一人です。

     長州藩内の尊王攘夷派(長州正義派)の指導者で、留学希望・開国・破約攘夷の勤皇志士、長州藩の外交担当者、藩庁政務座の最高責任者として活動しました。

     特に志士時代には、幕府側から常時命を狙われていたにもかかわらず果敢に京都で活動し続けました。鞍馬天狗の話の中にも、桂小五郎として登場します。

     維新後、総裁局顧問専任として迎えられ、当初から「政体書」による「官吏公選」などの諸施策を建言し続けました。

     文明開化を推進する一方で、版籍奉還廃藩置県など封建的諸制度の解体に努め、薩長土肥四巨頭による参議内閣制を整えました。

     海外視察も行い、帰朝後は、かねて建言していた憲法三権分立国家の早急な実施の必要性について政府内の理解を要求し、他方では新たに国民教育や天皇教育の充実に努め、一層の士族授産を推進しました。

     長州藩主・毛利敬親明治天皇から厚い信頼をうけました。

     一方で、急進派から守旧派までが絶え間なく権力闘争を繰り広げる明治政府の中にあって、心身を害するほど精神的苦悩が絶えませんでした。

     西南戦争の半ば、出張中の京都で病気を発症して重篤となり、夢の中でも西郷隆盛を叱責するほどに政府と西郷双方の行く末を案じながら息を引き取ったといわれています。


    ■ 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

     まつだいら のりやす
     寛延元年(1748年)-文政9年6月26日(1826年7月30日)

     江戸時代中期から後期にかけての大名・老中で、美濃国岩村藩主で従四位下・侍従の官位を賜っています。

     丹波国福知山藩5代藩主・朽木玄綱の八男として誕生しましたが、先代藩主・松平乗薀の長男の乗国、次男の乗遠がいずれも早世し、玄綱が初代藩主・乗紀の息子であったことから養子に迎えられ、養父の隠居により家督を相続しました。奏者番若年寄大坂城代、西丸老中などを歴任しました。

     1826年(文政9年) 6月26日に、老中在職のまま死去しました。享年78歳でした。


    ■ 最澄(伝教大師

     さいちょう、でんぎょうだいし
     神護景雲元年(767年)8月18日-弘仁13年6月4日(822年6月26日)

     平安時代の僧で、天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られています。

     生地は、近江国滋賀郡古市郷(現:滋賀県大津市・坂本)で、生源寺で、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)です。

     生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在します。

     十二歳で比叡山に登り、研究修行を積みました。

     延暦23年に空海と共に、中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となりました。

     なお、最澄に唱える言葉は「南無宗祖根本伝教大師福聚金剛」です。

     

     

    ◆ 【きょうの人】 バックナンバー

     歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

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    【 注 】

     【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。