keieishi17’s diary

40年余の経営コンサルタント経験から語る

■【きょうの人】 1102 ■ 後醍醐天皇 建武の新政 ■ 柳沢 吉保 綱吉に重用されて権勢を振るう ■ 慈昌(源誉存応) 一遍の弟子

■【きょうの人】 1102  後醍醐天皇 建武の新政 ■ 柳沢 吉保 綱吉に重用されて権勢を振るう ■ 慈昌(源誉存応) 一遍の弟子

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 後醍醐天皇 建武の新政


 ごだいごてんのう
 別称 吉野院、元徳院、元応帝
 1288年11月26日〈正応元年11月2日〉- 1339年9月19日〈延元4年8月16日〉


 大覚寺統後宇多天皇の第二皇子で、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇で、南朝の初代天皇(在位:1318年3月29日〈文保2年2月26日〉-1339年9月18日〈延元4年/暦応2年8月15日〉です。

 鎌倉幕府を倒して、建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立しました。
 元弘の乱(元弘の変)により、元弘2年 / 正慶元年(1332年)隠岐島に流されました。この時期、後醍醐天皇の皇子護良親王や河内の楠木正成、播磨の赤松則村(円心)ら反幕勢力(悪党)が各地で活動していました。
 元弘3年 / 正慶2年(1333年)、名和長年ら名和一族を頼って隠岐島から脱出し、挙兵します。これを追討するため幕府から派遣された足利高氏(尊氏)が後醍醐方に味方して、六波羅探題を攻略しました。
 その直後に東国で挙兵した新田義貞は鎌倉を陥落させて北条氏を滅亡させることにつながります。

 

■ 柳沢 吉保 綱吉に重用されて権勢を振るう


 やなぎさわ よしやす、正字体:柳澤吉保、正仮名遣:やなぎさはよしやす
 万治元年12月18日(1659年1月10日)-正徳4年11月2日(1714年12月8日)


 江戸時代前期の幕府側用人譜代大名で、第5代将軍徳川綱吉も重用され、元禄時代には大老格として幕政を主導しました。

 柳沢氏は、清和源氏の流れを引く、甲斐源氏武田氏一門の末裔を称する、甲斐国北西部の在郷武士団である武川衆に属しました。

 武田氏の滅亡後、武田遺臣の多くが徳川家康の家臣団に組み込まれ、柳沢氏は吉保の祖父にあたる信俊が、家康に仕官しました。

 寛文4年(1664年)12月18日、館林藩主・徳川綱吉に初めて謁見し、これが契機で後に大役を担うことに繋がります。

 世の中で注目される人は、良きにつけ、悪しきにつけ、チャンスをものにするのが上手と言えます。

 コナン度役などを経験した後、川越城を拝領するなど頭角を現し、常盤橋内の隣地に屋敷を拝領しました。

 翌元禄8年4月21日に駒込染井村の前田綱紀旧邸を拝領し、後にこれが六義園となります。柳澤が、なぜ、遠いかが後に名を残すのか、お恥ずかしながら知りませんでしたが、これで納得できました。

 綱吉から徳川将軍家菩提寺である寛永寺(東京都台東区上野桜木)の根本中堂造営の姪を受け、成功させます。

 それらの功績が認められ、元禄14年(1701年)将軍綱吉から松平姓および「吉」の偏諱を与えられ、松平吉保と名乗るようになりました。

 犬公方の手伝いをしたり、忠臣蔵の判断に大きく関与したり、桂昌院の官位などでは裏工作をしたりと、綱吉寄りの政策を続けました。

 綱吉死後は、次第にその陰が薄れ、隠居後は、江戸本駒込(東京都文京区本駒込6丁目)で過ごし、綱吉がたびたび訪れた六義園の造営などを行いました。

 

■ 慈昌(源誉存応) 一遍の弟子


 じしょう
 天文13年1月10日(1544年2月2日)- 元和6年11月2日(1620年11月25日)


 安土桃山時代から江戸時代にかけての浄土宗の僧でえ、号は貞蓮社源誉存応、武蔵国多摩郡由木の出身です。

 初め武蔵国新座郡時宗大平山法台寺の蓮阿に師事して出家、一遍の法流を伝えました。

 1561年(永禄4年)岩瀬大長寺の存貞に従って浄土宗に改宗し、その後武蔵国川越蓮馨寺をへて、1574年(天正2年)与野長伝寺を開創し、1584年(天正12年)には江戸増上寺の12世となりました。

 1590年(天正18年)徳川家康の関東入部にともない師檀の関係を持ち、増上寺は徳川家の菩提寺となりました。

 1598年(慶長3年)増上寺の寺地を現在の芝(東京都港区)に移して、家康の手厚い保護のもと京都知恩院とともに浄土宗の名刹となりました。

 浄土宗法度や浄土宗関東十八檀林制度の議に参加し、また紫衣の綸旨を賜っています。また、「普光観智国師」の号を贈られました。

 現在、増上寺山内塔頭に「観智院」があります。
 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

 

 

【今日は何の日】 11月2日 死者の日(万霊節 )   ■ 唐津くんち ■ 酉の市

 一年365日、毎日が何かの日です。

  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。

   詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■ 死者の日(万霊節 )  
 
 11月2日は、「死者の日(万霊節)」で、カトリックの宗教行事の一つで、死者のために祈りを捧げる日とされています。
 
 私共のブログでも紹介しているように11月1日は「諸聖人の日(諸聖人の祭日)」(その前夜がハロウィン)で、死者の日はその翌日にきます。ご存知の方も多いと思いますが、カトリックでは聖書のどの部分をミサで朗読するのか配分が定められています。ところがこの日は死者のために自由に選ぶことができます。
 
Wikipedia
 かつてカトリックでは、人間が死んだ後で、罪の清めが必要な霊魂は煉獄での清めを受けないと天国にいけないが、生きている人間の祈りとミサによってこの清めの期間が短くなるという考え方があった。死者の日はこのような発想にもとづいて、煉獄の死者のために祈る日という性格があった。
 
 話は変わりますが「グローバル」という言葉がしばしば使われます。私はかつて商社に10年ほどいましたので、外国の方と接することが多かったのです。直接フェース・ツー・フェースであうだけではなく、コレポンといって、タイプライターで打った手紙やテレックスでやりとりをして、ビジネスにむつび付けるのです。
 
 欧米人は、ビジネスはビジネスライクにと言う、無駄を省いた仕事の進め方をすると先輩から教えられました。それを承知の上で、単にビジネスの話だけではなく、日本の紹介をしたり、海外の風俗習慣などについて知っていることを書いたりしました。
 
 それが後に海外出張のオリエンテーションや、アメリカの現地法人で仕事をしたときにフェース・ツー・フェース会話のオリエンテーションに大変役立ちました。
 
 「君は、変わったビジネスマンだ」という捉えられ方が好意的だったのです。
 
 「君とのコレポンは楽しい」と言ってくれ、ビジネスも経験の浅い私にしては先輩と伍して業績を上げられるほど、かわいがってもらいました。
 
 「人生、万事塞翁が馬」
 
 何が幸いするかわかりません。
 
 
 
■ 唐津くんち(からつくんち)
 
 11月2日はお隣佐賀県唐津神社のくんちの初日で4日まで開催されます。
 
 唐津くんちは、佐賀県唐津市唐津神社の秋祭りです。長崎くんち博多おくんちと共に日本三大くんちと言われていることはよく知られています。
 
 くんちですので、曳山が出ますが、厚い和紙にカラフルなデザインで街の中を練り歩きます。金・銀・朱などを塗った「漆の一閑張」は、佐賀県文化財に指定されています。
 
 私が行ったときには、たまたまなのか車輪が砂にめり込み、男達がそれを引き出そうとする様は、力強さを以上の何かを感じました。
 
 
 
 
■ 酉の市
 
 11月2日、14日、26日は、東京・浅草では酉の市で賑わいます。江戸っ子にとっては、年の瀬が近づくことを知る行事です。その年によつて開催される日が異なります。月初めの最初の酉の日を一の酉、次を二の酉、その次を三の酉といいます。
 
 酉の市と言えば福を取り込む熊手、大判小判、稲穂などいう縁起物が飾り付けらレ、それを買ういなせな客と手拍子というのがおきまりです。
 
  図 酉の市 ←クリック
 
 
 
■ 【今日は何の日】その他
◇ 中尊寺藤原祭
◇ 京都松尾大社上卯大祭
◇ おはら祭
◇ 存応寂
◇ 永観忌

 

 Gooブログ

 アメブロ

 FC2ブログ