■【カシャリ!ひとり旅】 京都 大原 魚山 浄蓮華院 声明発祥の地のある宿坊
若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。
旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。
写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。
何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・
他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。
■■ 京都 大原 のどかに広がる田んほとシソ畑と草生川
大原(おおはら)は、京都府京都市左京区北東部にある地名で、比叡山の北西麓、高野川上流部にあります。大原は四方を山に囲まれていて、高野川に沿って若狭街道が通っています。
大原という地名は、すでに平安期から見られ、平安時代初期に慈覚大師円仁が修練道場として開山した大原寺(だいげんじ、勝林院と来迎院の総称)に由来するといわれています。かつて大原村は、山城国愛宕郡に属し、南隣の八瀬と併せて「八瀬大原」と称されました。古くは「おはら」と読まれ、「小原」と表記されたこともあります。
大原は、「天台声明が響く」といわれ、三千院や寂光院など、比叡山の影響もあり天台宗系の山寺があります。そこをめざして、ひなびた畑道を歩くことを楽しみにしている人が集うところでもあります。
「大原女(おおはらめ)」も有名で、「小原女」とも書きます。山城国大原で、女性が薪・木炭・柴を頭に載せて都まで売りに出かけました。魅力的な出で立ちは、寂光院に隠棲していた平徳子(建礼門院)に仕えた阿波内侍が山仕事をした時の衣装を模したといわれています。
大原行きのバス終点か、ひとつ手前の梅の宮前バス停で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田んほと、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。
のんびりと、その中を進んで行きますと、草生川の上流にあるのが寂光院です。私が再び寂光院を訪れたのは、管主の寂聴さんが亡くなる10日ほど前のことです。
ここは、聖徳太子の創建と伝わっていますし、建礼門院が余生を過ごした古刹でもあります。
寂光院へは、京都駅または地下鉄国際会館駅から大原行きのバスに乗ってゆくのが一般的です。
大原行きのバス終点か、ひとつ手前の梅の宮前バス停で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田圃と、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。
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https://kyoto-ohara-kankouhosyoukai.net/detail/5563/
浄蓮華院 じょうれんげいん
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天台宗魚山浄蓮華院は、三千院の裏手に位置し、来迎院や音無の滝に行く手前になります。
バラモン教から伝わり、日本の佛教音楽の元となった声明(しょうみょう)の発祥の地といわれています。
宿坊でもあり、予約をしますと宿泊が可能です。
■ アクセス
【所在地】 〒601-1242 京都市左京区大原来迎院町407
【電話番号】 075-744-2408(外国語対応:不可)
■ 天台声明 てんだいしょうみょう
声明(しょうみょう)とは、法要の中で経典を歌のように唱える宗教音楽で、インドから中国を経て日本に伝えられました。
天台宗に伝わる声明の系譜は、平安時代に円仁が中国から比叡山へと声明を伝えたことから始まります。そして円仁の系譜に連なる寂源が勝林院を、ついで良忍が来迎院を建立しますと、大原寺は声明を研究伝承する一大拠点として発展していきます。
大原寺の住職たちは、宗派を超えて声明の伝授をおこなったため、浄土宗や浄土真宗などの声明は、大原の天台声明の流れをくんだものです。
また声明は、のちの時代に謡曲や浄瑠璃などの古典邦楽に対して大きな影響を与えたことが知られています。つまり魚山大原寺は、古典邦楽の聖地と言い換えることもできるでしょう。
■■ 浄蓮華院への道 ■■
私が訪れたのは、初秋で、紅葉にはやや早い時期でした。
三千院を左に見ながらまっすぐにあがって行きますと、左手に、三千院の裏門を過ぎると浄蓮華院が見えてきます。
時間がなくて、三門を訪れただけです。
左手が三千院
三千院の参道方向に登らず
道をまっすぐに登って行きますと
三千院の裏門が見えてきます。
裏門といいましても立派な朱色のもんです。
平素は、クローズしているようです。
■■ 浄蓮華院 ■■