keieishi17’s diary

40年余の経営コンサルタント経験から語る

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 大原 勝林院1 天台声明のお寺 本堂とご本尊

 

  ■【カシャリ!ひとり旅】 京都 大原 勝林院1 天台声明のお寺 本堂とご本尊

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 京都 大原 のどかに広がる田んほとシソ畑と草生川

 

 大原(おおはら)は、京都府京都市左京区北東部にある地名で、比叡山の北西麓、高野川上流部にあります。大原は四方を山に囲まれていて、高野川に沿って若狭街道が通っています。

 

 大原という地名は、すでに平安期から見られ、平安時代初期に慈覚大師円仁が修練道場として開山した大原寺(だいげんじ、勝林院と来迎院の総称)に由来するといわれています。かつて大原村は、山城国愛宕郡に属し、南隣の八瀬と併せて「八瀬大原」と称されました。古くは「おはら」と読まれ、「小原」と表記されたこともあります。

 

 大原は、「天台声明が響く」といわれ、三千院寂光院など、比叡山の影響もあり天台宗系の山寺があります。そこをめざして、ひなびた畑道を歩くことを楽しみにしている人が集うところでもあります。

 

 「大原女(おおはらめ)」も有名で、「小原女」とも書きます。山城国大原で、女性が薪・木炭・柴を頭に載せて都まで売りに出かけました。魅力的な出で立ちは、寂光院に隠棲していた平徳子建礼門院)に仕えた阿波内侍が山仕事をした時の衣装を模したといわれています。

 


 大原行きのバス終点か、ひとつ手前の梅の宮前バス停で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田んほと、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。

 

 のんびりと、その中を進んで行きますと、草生川の上流にあるのが寂光院です。私が再び寂光院を訪れたのは、管主の寂聴さんが亡くなる10日ほど前のことです。

 

 ここは、聖徳太子の創建と伝わっていますし、建礼門院が余生を過ごした古刹でもあります。


 寂光院へは、京都駅または地下鉄国際会館駅から大原行きのバスに乗ってゆくのが一般的です。

 大原行きのバス終点か、ひとつ手前の梅の宮前バス停で下車します。「おつう」の昔話のある、京都西北部大原の西に、のどかに広がる田圃と、柴漬けに欠かせないシソの畑があります。

 

■【カシャリ!ひとり旅】 京都 大原 勝林院 天台声明のお寺 本堂とご本尊 

 

 京都大原といいますと寂光院三千院を連想する方が多いと思います。その三千院の前を通りすぎますと正面突き当たりにあるのが、勝林院です。

 正式名称は、「魚山大原寺勝林院」といい、長和2年(1013)に寂源によって、声明(しょうみょう)による念仏修行の道場として創建されました。およそ90年のちに、三千院の裏手にあります来迎院が創建されますと、二つの本堂を中心として僧坊が建立され、多くの僧侶が声明の研究研鑽をする拠点となりました。このようにして勝林院と来迎院を中心とした大原東部の寺院群は、魚山大原寺と総称されるようになります。

 勝林院は、火災や水害のたびに再建されてきました。現在のお堂は安永7年(1778)に再建されたもので、幅七間、奥行六間の総欅造りです。屋根は、木の板を重ねて葺いた杮葺(こけらぶき)です。

 欄間や蛙股などに彫り込まれた立体的な彫刻は、当時の木彫技術の素晴らしさを今に伝えています。

 かつては、声明の修行道場でした。法然上人の大原問答でも知られ、勝林院のお堂の中央に安置されているご本尊・阿弥陀如来坐像です。大原問答のおりに奇瑞を示したことから「証拠の阿弥陀如来」とも呼ばれています。

 【所在地】     〒601-1241 京都市左京区大原勝林院町187
 【電話番号】    075-744-2537
 【拝観時間】    9:00~16:30<無休>
 【拝観料】    一般300円(団体270円) 小中学生200円(団体180円)
  ※障害者手帳お持ちの方は100円割引

 

■ 本尊 証拠の阿弥陀 
 
 お堂の中央に安置されている本尊の阿弥陀如来坐像は「大原問答」の折りに奇瑞を示したことから「証拠の阿弥陀」と通称されています。

 文治2年(1168)、勝林院住職の顕真が法然を招いて、延暦寺金剛峯寺東大寺などの高僧らとともに念仏の教えについて問答を交わしました。

 

 法然は白熱する論議の中で、念仏を唱えれば極楽浄土へ往生できると経典を引用しながら説きました。すると本尊が光を放ち、法然の主張が正しいと証明したのです。

 

 集まっていた多くの聴衆たちは、どんな人でも等しく極楽往生できることができると知り、大いに喜んで三日三晩絶えることなく念仏を唱え続けたといいます。

 

■ 天台声明 てんだいしょうみょう

 

 声明(しょうみょう)とは、法要の中で経典を歌のように唱える宗教音楽で、インドから中国を経て日本に伝えられました。

 天台宗に伝わる声明の系譜は、平安時代に円仁が中国から比叡山へと声明を伝えたことから始まります。そして円仁の系譜に連なる寂源が勝林院を、ついで良忍が来迎院を建立しますと、大原寺は声明を研究伝承する一大拠点として発展していきます。

 大原寺の住職たちは、宗派を超えて声明の伝授をおこなったため、浄土宗や浄土真宗などの声明は、大原の天台声明の流れをくんだものです。

 また声明は、のちの時代に謡曲浄瑠璃などの古典邦楽に対して大きな影響を与えたことが知られています。つまり魚山大原寺は、古典邦楽の聖地と言い換えることもできるでしょう。

 

■■ 勝林院本堂 ■■

 

正式名称は、「魚山大原寺勝林院」といい、

長和2年(1013)に寂源によって、

声明(しょうみょう)による念仏修行の道場として創建されました。

 

 

 

 

 

その三千院の前を通りすぎますと正面突き当たりにあるのが、勝林院です。

右手が、三千院と隣接する法華堂、左手が実光院

 

本堂

 

本堂前の庭

 

■■ 勝林院 ご本尊 ■■

 

 

 お堂の中央に安置されている本尊の阿弥陀如来坐像は

「大原問答」の折りに奇瑞を示したことから「証拠の阿弥陀」と通称されています。



 文治2年(1168)、延暦寺金剛峯寺東大寺などの高僧らとともに

念仏の教えについて問答を交わしました。

法然は、念仏を唱えれば極楽浄土へ往生できると説くと、

本尊が光を放ち、法然の主張が正しいと証明したのです。

 

 

どんな人でも等しく極楽往生できることができると説かれています。

 

 

本尊脇侍

 

 

■■ 勝林院 諸仏と鐘楼 ■■

 

 

 

白衣観音(左)

 

 

 

 

 

天橋立の紹介 https://youtu.be/DRdt__LiMGc
天橋立旋回橋 https://youtu.be/k231c--XGlU
天橋立大天橋 https://youtu.be/uusNGaMuWN4
天橋立松と碑 https://youtu.be/GErHrkLQS5o
天橋立・橋立神社と磯清水 https://youtu.be/HFVuH_K-LYI
天橋立白砂青松と舟屋 https://youtu.be/1JllCe7i3mg
天橋立コハクチョウ飛来地 https://youtu.be/qkZhqLuvzqU
天橋立の遊覧船に乗る https://youtu.be/syeWiLRCk4U
天橋立ビューランド https://youtu.be/Vc9kdnPUdfs

 

 

 

■ カシャリ! ひとり旅