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■【きょうの人】 0315 ■ 智証大師 円珍 天台寺門宗(寺門派)の宗祖

 

  ■【きょうの人】 0315 ■ 智証大師 円珍 天台寺門宗(寺門派)の宗祖

 

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

■ 智証大師 円珍

 ちしょうだいし/えんちん
 弘仁5年3月15日(814年4月8日- 寛平3年10月29日(891年12月4日)

 平安時代天台宗の僧で、天台寺門宗(寺門派)の宗祖でもあります。

 法号は「南無大師智慧金剛(なむだいしちえこんごう)」で、諡号智証大師(智證大師、ちしょうだいし)と称し、入唐八家(最澄空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人ですので、最澄空海らと肩を並ぶお人なのです。

 讃岐国香川県)金倉郷に誕生しました。その地の豪族・佐伯一門のひとりで、俗姓は「」和気」といいます。空海弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたるといわれています。

 15歳で比叡山に登り、義真に師事、12年間の籠山行を終えました。

 役行者を慕い、大峯山葛城山熊野三山を巡礼しました。吉野での修験道の発展に寄与することになり、承和13年(846年)には、延暦寺の学頭となりました。

 仁寿3年(853年)に、新羅商人の船で唐に向かう途中で暴風に遭って台湾に漂着したいりしました。

 天安2年(858年)帰国後、比叡山の山王院に住したの地、第5代座主となり、園城寺三井寺)を賜りました。三井寺には、円珍が感得したとされる「黄不動」「新羅明神像」等の美術品の他、円珍の手による文書が他数残されており、日本美術史上におきましても注目されることです。

 

 

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