keieishi17’s diary

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【きょうの人】 0703 ■ 加藤 楸邨 日本の俳人、国文学者 ■ 堀田 正英 江戸時代前期の大名

 

  【きょうの人】 0703 ■ 加藤 楸邨 日本の俳人、国文学者 ■ 堀田 正英 江戸時代前期の大名

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 加藤 楸邨 日本の俳人、国文学者

 かとう しゅうそん
 1905年(明治38年)5月26日 - 1993年(平成5年)7月3日)

  日本の俳人、国文学者で、本名は健雄(たけお)、水原秋桜子に師事しました。

 はじめ「馬酔木」に拠りましたが、苦学する中で同誌の叙情的な作風に飽き足らなくなりました。

 人間の生活や自己の内面に深く根ざした作風を追求し、石田波郷中村草田男らとともに「人間探求派」と呼ばれる会派を立ち上げました。

 戦後は、戦災や社会運動への参加などを経て幅の広い作風を展開しました。また主宰した「寒雷」では、伝統派から前衛派まで多様な俳人を育てました。


■ 堀田 正英 江戸時代前期の大名

 ほった まさひで
 寛永15年(1638年)-貞享5年7月3日(1688年7月29日)

 江戸時代前期の大名、常陸北条藩主で、江戸幕府若年寄も務めました。

 寛永15年(1638年)、信濃松本藩主・堀田正盛の四男として生まれ、寛永18年(1641年)、第3代将軍・徳川家光の小姓となりました。

 万治2年(1659年)に、中奥の御小姓に任じられ、寛文9年(1669年)に小姓組番頭に任じられ、頭角を現してきます。

 その後も、書院番頭、大番頭と要職を歴任するようになり、延宝8年(1680年)には第5代将軍・徳川綱吉の世子・徳松の守役に任じられました。

 その後、若年寄に任じられ、1万3000石大名となり、常陸北条藩主となりました。

 貞享5年(1688年)7月3日に死去、享年51才でした。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

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【 注 】

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