keieishi17’s diary

40年余の経営コンサルタント経験から語る

【カシャリ!ひとり旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 2慰霊堂周辺 260205

 

  【カシャリ!ひとり旅】 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 2慰霊堂周辺 260205

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

 

■■ 東京都墨田区 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 2慰霊堂周辺


  https://tokyoireikyoukai.or.jp/park/history.html

 

 大正11年(1922年)、東京市は、陸軍被服廠(軍服などを作る工場)の移転に伴い跡地を買収し、公園の造成を進めていました。そ大正12年(1923年)9月1日に関東大震災っが発生し、ここ被服廠跡に周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、続々と避難してきました。

 ちょうど昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたこともあり、各所で火災が発生しました。この被服廠跡にも強風にあおられた炎が四方から迫り、家財道具などに燃え移り、激しい炎となり、一気に人々を飲み込みました。この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われてしまいました。

 関東大震災の死者は、当時の東京府市合わせて7万人を超えました。諸霊を弔慰するために、大正12年10月19日に、東京府市合同の大追悼式が挙行されました。翌年には、東京府市合同で震災殃死者一周年祭並びに法要が行われ、以来絶えることなく今日まで続けられてきました。

 当初「大正震災記念公園」と仮称された公園でしたが、昭和5年(1930年)に「横網町公園」として開園しました。しかし、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が勃発しました。空襲による都内犠牲者の数は、10万人をはるかに超え、震災遭難者約5万8千人と合わせて16万3千人の遺骨が東京都慰霊堂として祀られました。

 平成13年(2001年)には、花壇と一体となった「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」が建設され、園内が華やかになりました。

  開園日  昭和5年(1930年)9月1日
  開園面積 19,579.53m2
 

 

■ アクセス

 

 JR総武線両国駅西口より徒歩8分
 都営地下鉄大江戸線両国駅江戸東京博物館前)下車A1出口より徒歩2分
 〒130-0015東京都墨田区横網二丁目3番25号 03-3622-1208

 

慰霊堂、復興記念館や日本庭園といろいろあります

 

東京都慰霊堂には、

空襲による都内犠牲者10万人

関東大震災遭難者約5万8千人の遺骨が祀られています

 

正門

正面は慰霊堂

慰霊堂に付帯する建物などを紹介します。

 

 

関東大震災の供養のために

中国仏教徒の寄贈による鐘楼・梵鐘

 

銀杏並木

復興記念館横の並木

右:復興記念館 左:日本庭園

 

慰霊堂前に立つ石灯籠

奥は「平和を記念する碑と花飾り」

 

「平和を記念する碑と花飾り」

季節の花でデザインも変化します

 

慰霊堂正面玄関前に立つ狛犬

 

鐘楼横の石灯籠

ちょっと変わった灯籠ですね

 

公園管理棟

 

 

 

 1都立慰霊堂 ◀前 次▶ 3復興記念館

 

■東京都墨田区 都立横網町公園

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅