keieishi17’s diary

40年余の経営コンサルタント経験から語る

【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園4 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 本堂 141101

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県仙台市 輪王寺庭園4 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 本堂 141101

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県仙台市 輪王寺庭園4 伊達家ゆかりの北山五山の一つ池泉回遊式庭園 本堂 141101

 

 輪王寺は、仙台の寺町であります北町地区にある、室町時代からの歴史のある伊達家ゆかりの寺院で、「北山五山」の一つと数えられています。

 輪王寺は、伊達家第九世大膳大夫政宗夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、第十一世、大膳大夫持宗により嘉吉元年(1441)太菴梵守和尚を開山として、奥州伊達郡梁川に創建されました。

 その後、伊達家の居城の遷移に従い、西山、米沢、会津、米沢、岩出山を転々とし、慶長七(1602)年、現在の地に移りました。

 明治維新後、輪王寺は伊達家の庇護を失い、さらに明治九年(1876)北山に発した野火のため、仁王門を残し七堂伽藍を全焼してしまいました。

 曹洞宗大本山永平寺總持寺の意を受けて、明治三十六年(1903)、福定無外和尚により、復興に着手し、現在の本堂と庫裡を完成しました。無外和尚は、庭園の建設にも意を注ぎました。次の五峰和尚により、梵鐘、位牌堂、坐禅堂、開山堂が完成し、七堂伽藍の全てが整いました。

 庭園には、茶室「半杓庵」が建設され、東北有数の名園となりました。

 昭和五十六年(1981)道閑和尚の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、昔日の偉容を回復するに至りました。

 

アクセス

 

 JR仙山線北山駅から徒歩15分ほどのところにあります。

 仙台駅から路線バスで、近くまで行くこともできます。

 

 

JR仙山線北山駅からですと裏門の三重塔側から入ると近いです。

 

 

山門をくぐったところからまっすぐに続く参道

この参道は「お悟りの道」と呼ばれています。

石段の上にようやく本堂の屋根が見えてきました

 

 

手水舎

本堂を正面に見て左手にあります

その奥の胸像が気になりました

 

藤沢 幾之輔(ふじさわ いくのすけ)

1859年3月20日安政6年2月16日)[1] - 1940年(昭和15年)4月3日[1][3])

明治、大正、昭和期の日本の政治家、弁護士で

衆議院議員衆議院議長を務めました。

第1次若槻禮次郎内閣のときには商工大臣として活躍し、

貴族院議員も歴任しています。

 

本堂の左手は手水舎ですが

右手には、観音庭園があります

 

手水舎の奥には地蔵像群があり

その前には形の良い石と、石碑が立っています

 

本堂前庭園(左)

 

本堂前庭園(右)

 

本堂前 庭園入り口

 

庭園入口側から見た本堂

 

本堂奥には丸屋根のストゥーパが見えます

 

本堂屋根の破風や鬼瓦も緻密です

 

 

 

本堂扁額

六代将軍足利義教後花園天皇に奏請して、

宸筆の額「金剛寳山輪王禅寺」が下賜されました

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています