■■【歴史に学ぶ経営】 大阪の行政が問われる
「原点に返る」「歴史は繰り返す」という言葉があります。歴史をひもとくと、我々に大きな示唆を与えてくれます。視点を変えると経営にも活かせることがたくさんあります。
ところが、それに気づかないことが多いのです。皆さんの気づきの一助になればと考え、週末午前9時の「経営のカンどころ」の一環として、月に1回は【歴史に学ぶ経営】をお届けします。
■大阪の行政が問われる
大阪の行政のあり方が問われる秋になりそうです。
初めて大阪の御堂筋を目にした時、広い道幅、それにこの道が一方通行なのに驚かされました。
その昔、「大阪を経済で日本一にし、東京を従えさせる」と言って闘い続けた市長がいます。
関一(せき はじめ)。明治6年、幕臣の家に生まれ、20代の頃、ヨーロッパに留学もしています。その際、開業後3週間のパリの地下鉄に乗ったことが、後の人生に大きく影響します。
この時に大阪の大動脈である御堂筋は、それまでの道幅が6.3mだったのが43.6mになりました。
昭和9年、室戸台風が西日本を襲い、復旧復興に全力をあげている最中の翌昭和10年1月26日、病気で現役市長のまま、この世を去りました。直前には多くの市民や労働者が見舞の電報を送り、神社に回復祈願をしたそうです。
関市長が助役時代にこんな言葉を残しています。
「上を見て、煙突を数えるだけでなく、労働者・市民の状態を見よ」
資料出典: J-NET21